明治40年に初代代表の久我徳太郎が久我板金を創立した。 昭和5年、二代目の代表 久我榮作が商号を久我工場と名称変更し、当時にしては最新の量産加工が可能な数多くの機械を導入し、昭和18年まで躍進を続けたが戦災にて焼失した。その後、昭和23年に東京渋谷区恵比寿に工場を再建したが、戦後の目覚しい住宅の復興により工場の騒音問題が起き、やむなく転居をする。 工場地帯である横浜鶴見区江ケ崎町に昭和34年8月に移転し、称号も株式会社久我工場と改めた。
平成19年9月に江ヶ崎町の工場を鉄骨3階、一部四階建の工場に新築し、矢向の精密板金加工部門・プレス工場部門と合併し、尚一層の技術向上に計るべく日々努力の操業を続けております。
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